ミューズが微笑みを与えた音楽 1

 これから、おりに触れて『ミューズが微笑みを与えた音楽』と題して古今の名作を紹介していきたいと思います。有名な作曲家がいつでも名曲を書けるとはかぎりませんし、有名でない作曲家には名曲が書けないわけでもありません。作曲家の努力・才能とは別に『ミューズの微笑み』が鍵になるようです。『ミューズの微笑み』はユングの言う集合的無意識へのアクセスなのかもしれません。

 第1曲めとして取り上げたいのは、調性音楽がはじまって数十年経った頃に書かれた『53声部のザルツブルク大聖堂祝典ミサ曲』 1682年に、ハインリヒ・フォン・ビーバーが書いたと言われている曲(異説あり)。
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 これは中世に書かれた『ノートルダム・ミサ曲』(ギヨーム・ド・マショー作)やルネッサンスに書かれた『教皇マルチェルスのミサ曲』(ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ作)と較べて大きく違います。違いは調性があるか、ないかですが、作る側から言うと、後出の二曲は日常生活を普通に行い、「淡々と書いていく」ことができます。しかし、『53声部…』の方は、食事を何回かとばしてしまいながら、『書き上げた』感じがします。名曲は、なにか大きなものに追い立てられ、書かされているように感じます。

 『53声部…』を最初に聞いた神父は、その生々しさに依頼を後悔したかもしれない。それくらい、前の時代とちがう音楽が生まれました。クラシック音楽を聞く時、その曲が作られた時代背景や、作曲者の持っていた文化的な背景を分かっていないといけない、などとうるさいことを言う人もいますが、作品の背景を何も知らずに作品だけの力で感動するからこそ「芸術に国境はない」といわれるのだと思います。

※マショー、パレストリーナはその時代におけるもっとも才能豊かな作曲家なのですが、調性音楽が発明されていないので、淡々とした音楽に聞こえます。ベルクも同じく時代に恵まれていなくて、イデオロギーとアカデミズムの20世紀に音楽を書いていたので、ずいぶんと損をしているように思います。この三人が別の時代に生まれていたら、、という想像は楽しいものです。その逆の作曲家もあって、リストとストラヴィンスキー。このふたりは別の時代に生まれたら、そこまで有名にならずに終わっていたでしょう。彼らの個性と時代がぴったり合っていたことでずいぶんと得をしているように思います。
September 13th, 2019