感情と方向性
 A.I. (人工知能)に置きかわりにくい仕事として「感情をあつかう仕事」をあげる人がいますが、人間の感情を読み取ったり、あたかも感情を持っているかのようにふるまうことは A.I. にとってそれほど困難なことにはならないと思います。もっと言えば、人間の感情に寄り添って人間に仕える仕事は、遠くない将来「 A.I. でなければなかなかできない仕事」と位置付けられることになるでしょう。
 音楽家の中には「感情をこめて演奏する」という表現を使う人がいますが、「 A.I. と感情」の話題に共通する違和感を感じます。そうした人たちは音楽を体得していないか、自分の音楽体験を言語化できていないかのどちらかだろうと想像しています。
 音楽の本質がわかる人は、音楽の方向性を体感していて、方向性によって音楽を表現していきます。そして、そこに人間性とか人生観が滲み出てくることになります。ここで、モーツァルトの「トルコ行進曲つきソナタ」一楽章の一部をメロディの方向性を強調して弾いてみます。
※ 音楽が感情表現か否かは昔からある議論ですが、今回はそれに触れずに話をすすめます。
※ ベートーヴェンの『悲愴』二楽章をその観点で聴いてみることをお勧めします。そのピアニストの人生観が透けて見えてきます。


手弾き

PC による再生

 人間によるゆらぎのある演奏の後で「PC による再生」を聞くと、方向性の有無が感情として伝わっていることが理解されると思います
 三つ目の音源は超高速で再生した場合です。人間にはとてもまねできません。将棋や碁で、人間が A.I. と対決しているのを見ると、この演奏を聞いた時と同じ無意味さを感じます。
PC による再生 4倍速 → 10倍速 → 80倍速

 A.I. はベクトルでたとえれば、線分が人間とは比較にならない長さを持っていますが、矢印はどこにも向いていません。矢印の向きを決めるのは人間です。方向性こそが人間に求められることなのでしょう。
※ ぼくは日常的に「PCによる再生」を利用しています。作曲途中の曲を「PCによる再生」で聞いてみると意外なところに瑕があることがわかります。自分で弾く場合、瑕を無意識に感じ取って、それを補う演奏をしてしまい、結局、瑕に気がつかない、ということがよくあるのです。

Apr. 14, 2017