名曲
 ベートーヴェンは生涯に400曲くらい作曲したようですが、よく演奏される曲は、多く見積もっても数十曲程度だと思います。そのような、よく演奏される曲を「名曲」として話をすすめていきます。「名曲」のなかには「月光」「悲愴」など、愛称のついた曲がありますが、作曲者自身が名付けていないものが大半です。「第九」などはタイトルとは言えないかもしれませんが、愛称とは言えると思います。愛称が付けられるほど、愛された曲には何か特徴があるのでしょうか。それを考えてみます。
 そこで、試みに、ベートーヴェンのピアノソナタ:第5,6,7,8,9,10番を見てみました。第8番が「悲愴」と名付けられたソナタです。「5,6,7」が作品10、「8」は単独で作品13、「9,10」が作品14で、すべて、二十代後半に書かれています※。
 どの曲も、規模は変わりません。作曲技法的に見ると、「悲愴」だけが型破りです。型破りなのは、「名曲」の必要条件ではありませんが、曲の要請で型破りになることはありそうです。今なにげなく、「曲の要請」と書きましたが、ここに「名曲」の謎をとくカギがありそうです。
 坂口安吾が戯作者文学論にこんなことを書いています。
「…作中人物が本当に紙の上に生れて、自然に生活して行く筈なのだが、今日はまだ本当に生きた人間が生れてはくれない…」
 上にあげた6つのソナタで言えば、「悲愴」はメロディが命をもって、自由に動いているように感じます。それ以外の曲は、ベートーヴェンがコントロールしている感じが強い。「名曲」が生まれるのは作者に何かが乗り移って、我を忘れて書いているような時かもしれません。
 作曲技法の世界では、「序奏は、曲の大半ができてから作れ」と言われています。「悲愴」で言えば、ゆっくりとした部分が序奏で、速くなるところからが主テーマとなるのですが、この曲は序奏から思いついた、とぼくは推測しています。出だしの数小節をスケッチした辺りで、音に命が宿って、ベートーヴェンは、その曲のダイナミックな姿を克明に書き留める、という作業に終始したように思えるのです。
 と、ここまでは作る側から見た場合ですが、聴く側としてはどうでしょう?「名曲」には心を動かされます。「悲愴」以外の5つのソナタも、「なるほど、うまいなぁ」と感心はするのですが、心を動かされる部分は少ない。「心を動かされる」のは、おそらく何らかの脳内物質によるものだと想像しています。大多数の人にとって「心を動かされる」曲が「名曲」ということになるのでしょう。



この当時、同一の作品番号中に複数の曲を収録するのは「よくあること」でした。もう少し前の時代は12曲で1セット、ということが普通で、有名なヴィヴァルディの「四季」も12曲で構成された作品8の最初の4曲です。「四季」以外の8曲も良品揃いで、「名曲」として愛される価値は充分あります。「四季」がここまで愛されたのは、春夏秋冬を題材にしたことと、古くはLP、少し前まではCD一枚に収まる、という理由によるのかもしれません。現在では「一枚に収まる」というのはメリットでもないので、あとの8曲にも関心が向かうといいな、と思っています。
Jun. 10, 2018