音楽と心

 中学生か、高校生の時だと思うけど、テレビドラマで、殺人の嫌疑をかけられたピアニストが演奏をし、それを聞いた人が、
「彼の演奏を聞けば、彼が殺人を犯していないことがわかる」と発言する場面がありました。
「そんなはずはない」とぼくは思った。曲の解釈と演奏家の心は別物だ、と思ったわけです。
 でも、いつのころか、演奏を聞くとその演奏家の精神が垣間見えるようになって、あのドラマにもいくばくかの真実があったのではないか、と思うようになりました。
 演奏を聞けば、その演奏家がどういう態度で生きてきたかがわかる。具体的に、殺人を犯しているかどうかまでは分かりませんが、その人の精神の高さ精神の深さを感じることができます。
 演奏家の「精神」として、ぼくが感じるのはそういった類いのものです。音楽家としての訓練を受けていない人は、そういう「精神」だけを感じ取っているのだろうと想像しています。
 訓練を受けた人は、
「あのパッセージをあのテンポで弾くなんて…」と感動したりするのですが、それは本質的な感動ではなく、本筋は「精神」にあるべきで、世阿弥の言う
「初心忘るべからず」というのも、その辺りのことを戒めているのだと思います。
 演奏家の中にはさまざまな人生を生きていたような、「精神」の高さ、深さを感じさせる人がいます。いま、無意識に「さまざまな人生」と輪廻転生を前提としたような表現をしてしまいましたが、そうとでも表現しないと伝わらないような「精神」をもった演奏家がすくなからずいます。
 ひとりだけ例をあげるとすれば、
Chopin Etude Op 10 No.11 Valentina Lisitsa
December 6, 2019
September 13th, 2019